2012年11月30日金曜日
2012年11月29日木曜日
中学生の主張 外交問題 Ⅰ
☆外交
1.問題点は日本人の気力が弱すぎて、他国に押されている。もっと自国の意見を言い、そして、国の関係を保つごとが大事だ。
2.尖閣諸島問題については、自分の国の領土であることを明確に示さなければならないと思う。
3.はっきり相手国にも言って、多少戦いが起こってもよいと思う。
4.国同士解決につながる話し合いをしていない。
5.国の裁判をしたらいいと思います。
6.尖閣諸島は今まで日本の領土とされてきたのに 今になってその問題を掘り起こすのはおかしい。裁判で決着をつけるべきだと思う。
7.竹島に韓国が侵入してきているのに 日本は弱腰すぎるのでもっと強気に「帰れ」と言うべきだ。
8.中国や韓国に日本の領土を占拠されているのに何もしようとしてないから、ちゃんと意見 言ったらいいと思う。
9.今の日本は、はっきりと意見を言わずに周りの国の顔色をうかがっているだけだから領土問題にしても、もっと日本のものだということを主張しえほしい。
***************************** 追加
中学生の主張 外交問題 Ⅰ
中学生の主張 外交問題 Ⅱ
中学生の主張 Ⅲ
2012年11月28日水曜日
もう一つの熊野神社 「鮎そば」 湯之谷
ネットで「綾町 熊野神社」を検索 出てきました。 まずは そのブログ
ブログ名 「綾の森の案内人」
http://blogs.yahoo.co.jp/ueharaiwao/13456058.html
そこには もう一つの「熊野神社」がありました。
別なサイトでした 綾町民の 「みんなの森」のブログ
ここに載っていました。 一度 ご覧ください。
旅立つときは「鮎そば」 「湯之谷」 出兵のとき「鮎そば」、来客のもてなしに「鮎そば」
このように言ったら 店に「鮎そば」が出るのではないでしょうか!
綾の特産品 「黄金の鮎」 照葉樹林 湯之谷
関連サイト
ブログ名 「綾の森の案内人」
http://blogs.yahoo.co.jp/ueharaiwao/13456058.html
そこには もう一つの「熊野神社」がありました。
別なサイトでした 綾町民の 「みんなの森」のブログ
ここに載っていました。 一度 ご覧ください。
旅立つときは「鮎そば」 「湯之谷」 出兵のとき「鮎そば」、来客のもてなしに「鮎そば」
このように言ったら 店に「鮎そば」が出るのではないでしょうか!
綾の特産品 「黄金の鮎」 照葉樹林 湯之谷
関連サイト
2012年11月26日月曜日
2012年11月24日土曜日
「友達を裏切ることはできないからな!」 Ⅱ
困った友達だ お礼に綾特産の「天然アユ」「黄金のアユ」
クール宅急便です。 箱がなくなりましたので 宮崎から別の箱
宮崎県高千穂の「夜神楽」この箱もいいですね
「天然の黄金のアユ」です。 すごい 産卵前? 卵を持っていました。
ありがたいことです。 感謝感謝 お返しに商品を送っておきました。
すると、その返事です。「荷物と届いた。」「ありがとう」
「ようけあるわ、問屋みたいや!・・・・・ お客さんにもって帰ってもらうわ!」
「それがいいのでは!」
友達の最後の言葉「友達を裏切ることはできないからな!」
うれしい事を言ってくれます。いい言葉です。
「ありがとう、ありがとう」感謝でいっぱいです。 いいことがありました。
すると、その返事です。「荷物と届いた。」「ありがとう」
「ようけあるわ、問屋みたいや!・・・・・ お客さんにもって帰ってもらうわ!」
「それがいいのでは!」
友達の最後の言葉「友達を裏切ることはできないからな!」
うれしい事を言ってくれます。いい言葉です。
「ありがとう、ありがとう」感謝でいっぱいです。 いいことがありました。
2012年11月23日金曜日
38期生卒業アルバム 豊中1中 1985
懐かしい アルバム 1985年3月卒業生
校舎配置は変わりません。 その後 14クラスになりました。
プールでの記念撮影
12クラス
ラグビーの顧問をしていました。
下の右から3番目 吉田敦(東豊中高校→大阪体育大学)
4番目はキャップテン、後ろ 左から3番目 足の速いので有名な片山でした。4番目は 私の教科のテスト「機械分野」で満点の子でした。名前が憶えだせない。
みんなどうしているかな! このアルバムお借りしたものです。 経緯
*********************** 経緯
この年度は 思いで多いものです。長年務めた大阪大学工学部・国家公務員から資格を取り直し、トラバーユ2年 教員採用に受かり 3年生副担任 最初の卒業生です。
このアルバムの所有者の子どもが今、中学校2年生
この年度は 思いで多いものです。長年務めた大阪大学工学部・国家公務員から資格を取り直し、トラバーユ2年 教員採用に受かり 3年生副担任 最初の卒業生です。
このアルバムの所有者の子どもが今、中学校2年生
所有者・本人が学校に用があり、通りすがりに私を見たそうです。私を覚えてくれました。 27年も会っていないのに 「一瞬、通りすがりの先生のこと 覚えていたみたいですよ!」
その後、その子どもに、「アルバムを貸してほしい!」と言ってお願いしました。
懐かしい写真で、職員室で見ていると 皆さんはすぐに 私の頭を見ます。
自分でも「若かったなー」と昔にかえり、思い出すことしきりでした。
ありがとうございました。
今年の夏 7月は毎週土曜日は同窓会でした。 こんな年ですから こんな出会いも有ったのかと思い、またまた、思い出が出来ました。
2012年11月11日日曜日
今日も加賀文庫へお出かけ 弁当を買いました。
最近 弁当が安くなりましたね 駅前のスパーで買いました。
「おむすび八角小箱」 298円 安い
これに、お茶を手に入れました。 合計 404円でした。
中央に小さなおにぎり4個
煮物、焼き魚、エビ、ハンバーグ どれも小型です。
ちょっと少ないようですが 病み上がりにはこれでいい。
おにぎりには塩がありません。全体に薄味です。
さて この弁当のお値段は
「おむすび八角小箱」 298円 安い
これに、お茶を手に入れました。 合計 404円でした。
メイシアターで拓本の展示がありましたので見学後 加賀文庫へ
途中 泉殿神社 七五三さんと 「菊花展」 寄り道
みごとです。 しばし休息
これから 加賀文庫へ 文庫整理 長くかかっています。
きょうで やっと 2/5 かな
追加の書籍の記録 約一〇〇冊 どんどん増えてます。
2012年11月6日火曜日
良き友 よかったよかった Ⅰ
感激 留守電に同じ番号で2件 知らない番号でした。
内容から田舎(綾町)の友達からです。
伝言に「借金の返済をしたいので 口座番号を教えてくれ!」
泣けてきました。彼は夜、店をしていますので電話をかけず、メールを送りましたが届きませんでした。
翌朝早く その本人から電話です。
「よう 元気」「すまんなー 長いことお金を借りていて」「いやいや 電話があったことだけでも良いことや」
「ーーーちゃんが (借金の)何も催促しないし、 気になっていたのだ。お金出来たので口座番号を教えてくれ」
感激です。同じ同窓でも友達の名をかたり、何百万円巻き上げられた人もいます。
私は 今は年金生活者ですので余裕はありませんが。
彼は 田舎では、味もよく店も繁盛していましたので、他の人の援助で小さな店を開くことができました。その店に一度行ったことがあります。もう、6年ほど前になりますか。
さて、私 当時は、貸せる金額です。何百万円ではなく金額も小額でした10万円です。その間、長年にわたるので 催促もしませんでした。
貸したときの話ですが、久しぶりに帰った折、店に顔を出しました。その後、電話で「金を貸してくれ、どうしてもいるので」 「いくらや」「10万円でいいんだ!」 私は大阪、めったに帰ってこない。 この時は、金額も張らないのに(そんな私に話を持ってくるので、困っていたのでしょう。)「いいよ!」 と返事をし、「すぐ返済のする。」ことでした。でも、あの時「返ってこないかもしれない!」
どうなるか 絶対戻ってくる! そんなことは考えずに、困っているので援助したわけです。
何年か後 一度連絡がありました。「もう少し待ってくれ!」「無理スンナよ!」
ところが、私も言われるまであまり気にしていませんでしたが、今年の春 うちの奥さんにこのことを「友達に お金を貸している。」と告白しました。何故そんな話をしたのか覚えていませんが、奥さんには「戻ってこないかもしれない。」と話していました。
「いくら?? あんたが友達を信用してお金を貸すのだから、そあれはそれとして、もし、戻ってこない場合は戻ってこないお金として貸すことや!」
「それで 友達が助かったらいいやないの!」と
奥さん、寄付などはあまりしませんが、私が寄付する行為に対しては「金額が少なすぎる」などといいます。
よかったよかった それで 友達が立ち直れたら
友達から 必要とされていると思ったら、援助することだと思います。
その友がその答えを出してくれました。いい友達です。感謝感謝
ありがとう また今年もいいことがありました。
「長く借りていたので 利息をつけとくは! ありがとう」と云ってくれました。店の方もうまくいっているようです。よかったよかった。最後に「利息は要らない! 元気で頑張れや! 帰ったら寄るわ!」
こんないい話で彼は忘れてはいなかった。私自身もあまりにも気に留めていなかったので
感動しました。こんな話も現実にはあるものですね! やったー よかったよかった。
この話 いい話なので周りの人に話しました。 私の福が他の人に回るように。
内容から田舎(綾町)の友達からです。
伝言に「借金の返済をしたいので 口座番号を教えてくれ!」
泣けてきました。彼は夜、店をしていますので電話をかけず、メールを送りましたが届きませんでした。
翌朝早く その本人から電話です。
「よう 元気」「すまんなー 長いことお金を借りていて」「いやいや 電話があったことだけでも良いことや」
「ーーーちゃんが (借金の)何も催促しないし、 気になっていたのだ。お金出来たので口座番号を教えてくれ」
感激です。同じ同窓でも友達の名をかたり、何百万円巻き上げられた人もいます。
私は 今は年金生活者ですので余裕はありませんが。
彼は 田舎では、味もよく店も繁盛していましたので、他の人の援助で小さな店を開くことができました。その店に一度行ったことがあります。もう、6年ほど前になりますか。
さて、私 当時は、貸せる金額です。何百万円ではなく金額も小額でした10万円です。その間、長年にわたるので 催促もしませんでした。
貸したときの話ですが、久しぶりに帰った折、店に顔を出しました。その後、電話で「金を貸してくれ、どうしてもいるので」 「いくらや」「10万円でいいんだ!」 私は大阪、めったに帰ってこない。 この時は、金額も張らないのに(そんな私に話を持ってくるので、困っていたのでしょう。)「いいよ!」 と返事をし、「すぐ返済のする。」ことでした。でも、あの時「返ってこないかもしれない!」
どうなるか 絶対戻ってくる! そんなことは考えずに、困っているので援助したわけです。
何年か後 一度連絡がありました。「もう少し待ってくれ!」「無理スンナよ!」
ところが、私も言われるまであまり気にしていませんでしたが、今年の春 うちの奥さんにこのことを「友達に お金を貸している。」と告白しました。何故そんな話をしたのか覚えていませんが、奥さんには「戻ってこないかもしれない。」と話していました。
「いくら?? あんたが友達を信用してお金を貸すのだから、そあれはそれとして、もし、戻ってこない場合は戻ってこないお金として貸すことや!」
「それで 友達が助かったらいいやないの!」と
奥さん、寄付などはあまりしませんが、私が寄付する行為に対しては「金額が少なすぎる」などといいます。
よかったよかった それで 友達が立ち直れたら
友達から 必要とされていると思ったら、援助することだと思います。
その友がその答えを出してくれました。いい友達です。感謝感謝
ありがとう また今年もいいことがありました。
「長く借りていたので 利息をつけとくは! ありがとう」と云ってくれました。店の方もうまくいっているようです。よかったよかった。最後に「利息は要らない! 元気で頑張れや! 帰ったら寄るわ!」
こんないい話で彼は忘れてはいなかった。私自身もあまりにも気に留めていなかったので
感動しました。こんな話も現実にはあるものですね! やったー よかったよかった。
この話 いい話なので周りの人に話しました。 私の福が他の人に回るように。
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