2012年2月19日日曜日

江戸時代の山田村

国立公文書館 デジタルアーカイブ
摂津の国  元禄

原図サイズ:東西306cm×南北304cm 
黒点は一里塚を示す。
元禄摂津国絵図(1696~1702)には 下新田。上新田の村の記載がないが
天保摂津国絵図(1835~1838)には 下新田村、上新田村が書かれている。

拡大図

小野原街道は 両方の地図では 山田下村から別所村を経て小野原に行くルートになっていた。 山田下村、別所村、小川、中村、上村
もう一つの絵図 では

この図の方が新しいのか
明治19年の地図に近い
 
山田の歴史
 
*********************************** 摂津の国絵図
江戸幕府の絵図  4枚
慶長・正保・元禄・天保の4回行われた  現存するもので一番古い物
元禄摂津国絵図(1696~1702)
天保摂津国絵図(1835~1838)

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